■これからの企業の中心的課題
2002.0205
こんにちは、みなさん。清水信博です。
まぁ~適当につらつらと書いてみます。(^^;)
■企業の中心的課題について
企業の中心として、どうも大事なことが三つあるんではないだろうか
と思いついたのが2月3日。
一つは、平和ということ。
20世紀は戦争の世紀であったといわれています。また経済至上主義が
蔓延していた世紀だともいわれています。
その中で平和は戦争と戦争の間のほんの少しの時間を意味するもので
したが、21世紀にはもっと力強い、永続性のある平和を意識的に構築
することが求められると思います。
これは企業においても同様で、単なる馴れ合いを平和とはいわないよ
うに、個々が確立され、自立と連帯の基盤のうえに企業平和を構築する
ことが重要な課題となることでしょう。
つまり、和を越えた平和が企業の中心的課題になると思われます。
◆
二番目は、文化の問題です。文明は世界各国で共用できます。例えば
農耕文明のように違和感なく取り入れることができますが、文化となる
と各国で異なった文化を受け入れることは難しいものです。
これは企業文化においても他社の文化を真似ることが困難であることと
全く同じであると思います。
しかし、いまの世界がそうであるように互いの文化を認め合うという
ことが大事であるように、企業の文化も互いに認め合うことが大事にな
ると思います。しかし、それが一方のもので塗り替えられるということ
はないでしょう。
その企業文化は私は集団の意識と行動が放つ波動のようなものだと考
えていますが、それぞれの企業が独自の文化に磨きをかけることが中心
的課題の二番目になると思います。
◆
三番目は、教育の問題です。昔から「晴耕雨読」という言葉があります
が、Work & learning といえばいいのか、「仕事をすることと、学ぶこと」の
両立がすべての基礎になると思います。
ドラッカーは21世紀には知識社会が現実のものとしてすべての人々が
当たり前のこととして受け取るであろう、しかしまだ知識社会になったとは
言い難い。と述べていますが、やがて到来する社会であろうと、いまであろ
うと、教育は未来を創るという点においては今も昔も変わるものではありま
せん。
■技術教育、マネジメント教育、心的教育
企業ということに、そして教育ということに焦点を絞ってみたいと思いま
す。そこでは、技術教育、マネジメント教育、そして心的教育の三つが重要
ではないかと思います。
現代はモノ余りの時代です。しかしそれは顧客が欲しいものがなくて、
欲しくないものが大量に市場在庫として存在するだけであって、欲するもの
を提供すればモノはまだまだ売れていきます。
そして、モノがなくなるということはありません。
つまり製造業はなくならない。ということです。この点から考えても日本は
技術に力をおおいに注ぐことが必要です。
そして、私たちは製品やサービスを売っていると勘違いしやすいので
すが、じつは「機能」を提供しているということに多くの人は気づいて
いません。顧客は、まさに機能を購入しています。
私は技術教育についてはこの機能という側面からの基礎教育、応用教育
の二つの側面が大事ではないかと思っています。昨今の技術はボタンを押
せばよい、決められた操作手順に従えばよいというものを見かけますが、そ
の裏側にある基礎的なもの、きちんと説明できる体系的な技術教育というも
のがあってこその操作手順ではないでしょうか。
それがなければ、チャップリンの映画のベルトコンベアーのシーンを私
達は繰り返すことになるのではないか? という懸念すらあります。
◆
次に、マネジメント教育。
あまりにも大きい意思決定、判断の間違いが組織を混乱させます。
ドラッカーは知的労働者とは「自分でスケジュールを立てて、行動で
きる人である」と定義しています。言い換えれば、働く人と働かされて
いる人の違いといってもいいでしょう。
マネジメントの20世紀の誤解は「内部管理」と解釈されたことにあ
ります。それが、大企業の内部帝国を築きあげ、やがて中小企業もそれ
を見習ったところからおかしくなりました。それを是正するのがこれか
らの時代です。正しい解釈に戻すことだといってもいいです。
利益は、いえ売上すらも企業の外側にしかありません。その意味で、
企業内部のプロフィットセンターという言葉ほど間違った考えはないと
いっていいでしょう。
じつはマネジメントは、「外部の変化に合わせて自らを変えゆくこと」
というのが1954年当時のドラッカーの「現代の経営」には記されて
いることを知る人はあまり多くはありません。
このため、20世紀にはマネジメントは一部の人間が行うものとされ、
毛嫌いされて、その有効性を活かしきれていませんでした。
これを21世紀には、誰もが、自ら考え、計画し、自ら行動して、結
果を考察して次に向かうという正しい構造に転換しなくてはなりません。
しかも、それが個々の自立につながるからです。人道的経営といって
もよいかもしれません。
◆
三番目は心的教育、メンタルな教育です。
企業は、倫理観、企業の理念等々に関する教育を行っていかなければ
なりません。自分が所属する会社に対する立派な誇りを育成しなければ、
企業は単なる収入の受け渡し場になるでしょう。
もはや壊滅したと思われる、労働と報酬の交換という考え方は、案外
根強くあるのかもしれませんが、今後はそれらを超越した次元での仕事
と報酬の関係を築く必要があるように思われます。
「これはSONYが作るべきものではない」という言葉は強烈に私の
頭に残っていますが、まさに全ての社員の価値観が、このようなものと
なった時に、企業文化は華が咲いたといえるのかもしれませn。
また、どのように収益があがろうとも、犯罪に準拠するような製品を
つくることは組織の精神を破壊します。ある会社ではテレクラのシール
印刷はどんなに儲かるものであっても決して受注しないという経営者の
意思決定が社員の心に企業の倫理観として深く刻まれているそうです。
秋田の千葉さんがいわれた「フェアトレードの精神」。これもまった
く同様のことでしょう。
◆
以上のことと事業、組織、製品、顧客というものは相互に影響しあうと思
いますし、影響し合わなければならないものだとも思います。
このあたりのことは、すこしじっくり考えてみたいテーマです。
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