■短編小説 「MGの想い出」
2001.0629
「西研アメリカツアー」
■出発と到着
1983年6月13日の朝。私は西研究所主催のアメリカ西海岸で開催される
WCCF(ウエストコースト・コンピュータフェァー)見学会に参加するために新潟
駅のプラットホームに立っていた。先週買ったばかりの薄いクリーム色のブレ
ザーもパリっとして気持ちがいい。
私があたりを見回しているのは、一緒に参加することになっているS氏(37)
を探していたからだ。S氏は飛行機嫌い、しかも初の海外旅行。
しばらく待っていると、S氏が青いギンガムチェックの開襟シャツ、似合わない
帽子とジーンズ姿で、旅行鞄をガラガラいわせながらやってきた。
「やぁ~、ノブさん。お待たせ。」といいながら、両手には何故か漫画週刊誌を
山ほど抱えている。わずか2時間の上越新幹線の車内では到底読み切れな
い量だ。出発すると、S氏は本をむさぼるように読んだ。その後せいせいしたか
のようにいつも通りの顔つきに戻っていた。
新幹線は上野駅に到着。私たちはそこで降りて、旅行鞄をガラガラひきずって
スカイライナーに乗って成田へと向かった。成田空港は海外旅行の客で混雑し
ていたが、すぐに団長の西 順一郎氏を見つけて合流。数時間後の出発まで
自由時間があったので、喫茶で休憩することにした。
ゲートをくぐり、出国審査を終えるとS氏は免税店に向かっていた。彼の大好
きなスーパーニッカウィスキーを買うという。
しかし、なぜこれから出国という時に買うのだろう。
その理由は、S氏は大の飛行機嫌い。
そこで、乗ったと同時に酔っぱらってしまえば飛行機も恐くないという計算な
のだが、これが後に大きな誤算となってしまうのだった。
◆
やがてジャンボジェットは成田を後にした。離陸するときのあの身体がフワッ
とする感触はいまでも好きになれないが、それも機体が大きいだけに軽くすん
でいる。
後ろの席のS氏はとみると目をつむっていた。やがて機体が平行になり、ス
チュワーデスが飲み物を運んできた。私の席はちょうど真ん中で両側を挟まれ
る形になっており、後ろのS氏の左隣りは名古屋のクリーニング屋の今井田君、
右隣は誰かは忘れたが、同じツアーのメンバーであったのは間違いない。
S氏は、スチュワーデスに水と氷を注文。それも何回も注文したのは、彼がい
ち早く寝てしまいたかったからだ。ところが初の飛行機しかも海外旅行なので緊
張して思惑がはずれてしまったようだ。もっとも、最後にはスーパーニッカは1本
まるごと空になり、酒に弱いS氏は眠りについた。
10時間ほど経ったのだろうか? 太陽が昇り美しい雲海が窓越しに見える。
やがてコダックの写真で見た赤茶色の大地が見えてきた。いよいよアメリカ到
着。 これからの8日間を思うと、感慨深いものがある。
飛行機はサンフランシスコ空港に無事到着。スチュワーデスの挨拶、パーサー
も笑顔で案内している。
「さて、アメリカに着いたな。Sさん、、、」。
そこで見たものは、毛布にくるまって寝ているS氏。もう周囲は上の棚から荷
物を降ろしてゾロゾロとハッチに向かっているというのに・・。しかも周囲の人が
嫌な顔をしているではないか。ハッと気づいた私はそっと毛布をめくってみた。
失禁して、しかももどしている。ズボンはビショビショ。これでは到底 入国する
ことはできない。すぐにズボンを脱がせて後ろにあるトイレで洗って履かせること
にした。
怪訝な顔をしたスチュワーデス、パーサーまで近寄ってくる、がそんなことにか
まってはいられない。濡れズボンをはかせて担ぎ上げ、あわててゲートへと向か
う。
ありがたいことに反対側の肩を支えてくれたのが名古屋の今井田君だ。初対
面なのに彼だけが手伝ってくれた。
入国審査ゲートでは、もうほとんどの人が通過していて私たちが最後だった。
S氏を一人で審査官と向かい合わせなければならない。二人で相談して間に
はさんで通過することにした。最初に今井田君が入国審査を通過。次にパスポ
ートと書類を持たせてフラフラしているS氏を私が突き飛ばすように審査官の前
へ送り込む。その後に私が通過。
こうして二人に支えられるようにフラフラのS氏はいま初めてアメリカの地に立
った。
そしてとにかく着替えさせなければならない。
手荷物を受け取ってトイレで着替えをすませることにした。この風景を見ていた
35名のツアー参加者の目には、「なんだあいつ達」と映っていてようだ。
冷ややかな目が痛い。
しかも、ゲートを出たときに私の新品のブレザーがないことに気づいた。
「そうだ、飛行機の上の棚に置き忘れたんだ」と思って問い合わせると、すでに
ゴミとして処分したとか、ひどいスタートになったものだ。
サンフランシスコではゴールデンブリッジの前で記念撮影。昼食はフィッシャマ
ンズ・ワーフだ。昨年、新婚旅行でここに来ているので、「そうだ、例のクラムチャ
ウダー・スープを飲ませれば二日酔いは直るかもしれない」と思い、嫌がるS氏に
無理矢理スープを飲ませた。
これが効いてS氏のひどい二日酔いは順調に回復へと向かっていった。
■もう帰る
同じ新潟からの参加なので同室となった私とS氏。これが結局は良かった。
とにかく今日は早く寝ようということでベッドについたが、早朝、それも4時くら
いに目が醒めた。これは時差の関係かもしれない。
ところが隣りにいるはずのS氏が見あたらない。どこへ行ったのだろう。
探してみると一階のロビーのソファに横たわっていた。夜中中、新潟の友人に
電話をかけてまくっていたんだとか。とにかく「新潟へ帰る」と言い続けていたそ
うだ。
これから7日間もツアーがあるというのに・・・。
しばらくすると早起きの天野先生もきて、三人でいろいろと話をしたが、S氏
の頭の中は故郷の風景しかない。ボンヤリと悲しい、うつろな目をするばかり
だった。
■換金
WCCFの会場はホテルからタクシーでも近くのマスコーナセンターで開催され
ていた。個人で出展している者もいたり、有名なIBM、アップルコンピューター等
も出展して大盛況だ。英語がよくわからないので、パンフレットをもらったり、ハー
ド、ソフトを眺めて予測するしかないが、それでも一応すべてのブースを巡った。
少し疲れたので会場の外に出てみると芝生の上でゴロリと寝ているS氏がいる。
なぜもっと見て回らないのかと聞くと、「とにかくIBMとアップル、これだけ見
れば分かる。あとはその中間だからね」という。こういう視点で物事をみるS氏
には時々ビックリする。
彼は物事の本質を見抜く力は凄い。しかもW大の英文科を卒業した彼は、英
語を流暢に話せるわけでもないのだが、外人と話しても何の苦にもならないし、
案外わかるのだそうだ。
「言葉の端々に出てくる単語をつなげれば、案外わかるもんなんだよ」と彼は
いう。
次に彼が見せたのは小切手だった。週末で銀行が開いていなくて困った女
性の小切手を現金と交換してあげたのだとか。100ドルくらいだったと思う。
ホテルに戻ってツアーガイドの加藤氏に話すと、「それは詐欺にあったんで
しょう」とつれない言葉。偽の小切手で旅行者相手に換金する手口は多いのだ
という。クロッカーダイル・バンクと印刷されている銀行はホテルから歩いて5分
のところにあるそうだ。
明日は、そこへ行ってみることにしよう。
◆
翌朝、「まぁ~騙されたと思って換金してくるか」とS氏と私は、クロッカーダイ
ルバンクへと向かった。銀行に入るとヘビのようにうねって人が並んでいる。先
頭は黒人の太った女性だった。最後尾に並んだ私たちであったが、やがて30
分もすると窓口の前に立っていた。
そこで小切手を渡すと、なんと換金できた。
人間は信じるものだね。と話し合いながら意気揚々とホテルへ帰った。
ツアーガイドの加藤氏は換金できたことに驚いて、「それは偶然かもしれな
い。でも良かったですね」と言ってくれたが、私は偶然ではないと思った。
S氏は占いでは超一流なので、相手が外人であろうと、なんであろうと感覚
的に人を見る目があるからだ。
いずれにしても、この一件は面白い出来事として35名のツアー参加者の目
に映ったし、その後、S氏がみんなに好かれていく「プロローグ」だったのかも
しれない。
■早朝のホテルのロビー
目覚めの早いS氏。彼はいつも5時になると目を醒ます。そうなるといても
たってもいられない。そういえばS氏が。「早朝に訪問しても怒られることがない
場所を知ってるかい?」という質問を以前したことがある。
S氏によると、それは病院で、入院患者は誰かが来てくれないかと待ってい
るのだそうだ。私の兄が入院したときも、市場でネギを買って見舞いに行った。
目覚めた兄は、目の前でのぞきこんできるS氏に驚いたそうだが、「ネギは心
臓にいいから買ってきたんだ」といい、その後S氏は一人でしゃべりまくって帰っ
ていったそうだ。
その早起きのS氏。翌日から起きるやいなやロビーへと向かう。
そこには35名のツアー参加者の中でも早起きで、何もすることがない者が集
まっている場所だった。
そこへ颯爽と登場して持論をまくし立てるS氏。
彼の特技は星占いである。相手を見た途端に性格が分かる。この人間はお
だてるといいな。この人間はちょっとつっこんだほうが話にのってくるなというの
が手にとるように分かる。
三人三様っどころか、十人十様くらいの適応力がある。
それがために多人数を相手に話しをすると、S氏は八方美人、いい加減な男
と映る場合があるが、持ち前のユニークさでそれさえも消し去ってしまう。
◆
やがてロビーには毎朝人が集まり、S氏の辻説法をきく羽目になった。
しかし、それも喜ばれ、いつしかS氏は中心的存在になっていった。
その夜、S氏が私にこういった。
「ノブさん、アメリカは俺にまかしておいてくれ。俺はもう一生アメリカに住むよ」。
この変身ぶり、それもわずか2日の変身ぶりこそがS氏の真骨頂なのだ。
■What is Your~
S氏の星占いが達人の域に達していたことは分かるが、彼によればこれま
で2万5千人を占ったそうだ。しかしこれも真実かどうかは分からない。
計算は弱いタイプなのだから。
今回のツアーでも彼はいかんなくその能力を発揮しようとつとめた。最初は
上越新幹線の中だった。車内販売の売り子に「あなたは○座でしょう」と話し
かけて、それが見事に当たったものだから、この売り子は夢中になり、ずっと
先で千円札を振りながら、「お~い、まだかー!」とお客が怒り出すまで我々
の席にいた。
これ以降、ツアーで彼は私に、とにかく美人とみれば「星座を聞いてこい!」
と命令するのだった。例の飛行機内でのトラブルなどすっかり忘れたようだ。
星座は、アメリカでは「サンサイン」つまり太陽の位置というらしい。ホロスコ
ープといっても通じるのだが。そこで地下鉄に乗ったときにインド系の美人学
生がいたので早速私はこの命令をくらう羽目になる。
「ホワット、イズ、ユア、サンサイン?」と問うのだが、相手は分からないらし
い。どうやら私の発音が「サンシャイン」と聞こえるらしい。これではいけないと
思って、ホロスコープといえばいいものを、ホログラフとやったものだから、ま
すます混乱がひどくなってしまった。
サンサインの代わりにムーンサイン(月の位置)と言えば良かったのかもし
れないが、S氏の命令は突然やってくるのであわてたのがよくなかった。
すると脇から、「はいはい、私の出番ですねー。と言いながら笑顔のS氏が
登場。最初から自分で話しかければいいものを、ここぞという時になると出演
してくる。
「お!、あなたの星座はカニ座。カニ座はキャンサーというんですよ。」で始ま
り、目的地に着くまで話しまくっている。
こうして私はこの西研ツアーの間に50人の女性に星座を聞きまくることに
なった。
年齢はあまり関係ない。氏の好みである、鼻がちょっと上向きの、前歯が大
きくて少しだけ前に出てるタイプ。たとえていうなら飯島 愛のような顔立ちな
ら誰でもいいのでだった。
■ひどいブレザー
飛行機で紛失した私のブレザーを申し訳なかったと思っていたのだろう。
S氏はツアー先の森の中にある綺麗なブティックでブレザーを買ってくれると
言う。いろいろ見て、S氏が「これがいい。ノブさんには抜群に似合うよ!」とい
ってくれたのが、パーティで着るような鮮やかなグリーン、しかも金ボタンのブ
レザーだった。
アメリカでみると、そう派手ではないし、S氏も絶賛するのでこれを買うこと
にした。アメリカで着てみると結構似合うような感じもした。
ところが日本にもどってみると、こんなド派手なブレザーは着れるもんじゃな
いことが分かった。以来、三度くらいしか袖を通していない。
■たまの休日
今日は自由時間の日だ。
このツアーのなかで唯一といっていい日だ。
ところが朝からあいにくの雨。
ツアーの西団長が朝食のときに「今日は雨ですから、午前中はミーティング
にします」と言った。参加者からはブーイングも出た。
仕方ないので朝食後、会場に集まると、OK牧場のT氏が寄り添ってきて、
「ねぇ、清水さん、あれはないよねー。だって今日は自由時間なんだろ~」と
ささやいた。
いろいろ話したあと、何名かの人が前に出てツアーの感想を述べることに
なった。T氏の番になると「今回ほど有意義なツアーはない。このように
云々・・」と話しはじめて、私は目が点になったことを今でも憶えている。
それで、たしか午後からは自由時間になったようだが、それも今となっては
どんな自由時間であったのかさえ想い出せない。
この話を一緒に行った元M電気の経理マン、M氏にしたら大きな声で、
「そんなもんだよー」といわれてしまったが、M氏も当時は声が小さかった。
■享楽のハワイ
アメリカからハワイへとツアーは移動した。
ハナウマベイは美しい湾。200mも上から砂浜をみると澄んだ海の中に
カラフルな魚たちが泳いでいる。餌をあげると手のひらにも乗る。また来て
みたいものだ。
ツアーの最終目的地ハワイ。ここにはS氏の陰謀がひそんでいた。
じつはS氏、新潟でゲームセンターを経営しているA氏に頼んで密かにハ
ワイの知人を紹介してもらっていたのだ。研修会ツアーで息苦しいと予想し
たS氏は根っからの遊び人なので、こうした悪巧みもじつに巧妙なのだ。
夕方のミーティングが終わるやいなや、連絡をとっていたハワイの二世、
Mr.ヒラノがロビーに現れた。彼についていけば面白い場所にいけるという。
早速、我々三名はダウンタウンに向かった。そこには現地の人しか知らな
いという高級クラブがあった。店に入ってドリンクを頼み、10分もするとS氏
から声がかかった。
部屋の鍵を貸せという。
鍵を渡したら、「今夜、俺はこの娘と部屋に泊まるから、ノブさんはワイキ
キの浜辺で寝てくれ」というではないか。驚いたが、鍵は敵の手の内にある。
ここは観念すべきかと思ったら、Mr.ヒラノがかわいそうなので、ならばうち
に来いという。
助かった! と思ってMr.ヒラノの家に泊まることになり、お腹もすいてた
のでスパゲティまでご馳走になって寝たら、夜中に夫婦喧嘩がはじまった。
あれは、俺のせいなのか? と思ったが言葉が分からない。
仕方がないので寝ることにした。
翌朝、Mr.ヒラノにホテルまで送ってもらった。
すると入口から女が出てきたが、その右腕には見覚えのあるギンガム
チェックのシャツがある。しかも青い色だ。
「お~い! ノブさ~ん」。
スッキリした顔の上半身裸のS氏が5階の窓から手を振っていた。
女の見送りをしていたのだ。
あとで聞いたら支払いはシャツ1枚だけで済んだとか。
こうして私は35名のツアー参加者のうち、唯一ホテルに泊まらなかった
者になってしまった。よく考えたら、すでにS氏のペースですべての物事が
進んでいて、これは新潟にいるときと少しも変わらないのではないだろうか?
■JAIMS
ハワイで良かったのは、JAIMS(日米経営研究所)だった。
ここの校長のハワード三宅氏の講演がとくに良かった。
教室はコロセアムのように講義をする者の位置が低くなっていて、それだ
けでも見通しがよく気分のいいものだった。最初はいつものように四角四面
な講義だろうと思い、二人は一番後ろのほうで靴を脱ぎ、裸足で講義を聴い
ていた。
だんだん、私もS氏に慣らされてきたのかもしれない。
いけない、こんなことでは。
ところがハワード三宅校長の話は第二次大戦の話からはじまり、日系二
世の話、そして奥様の話、感動だった蝶の話となるにしたがって、二人は靴
下をはき直し靴も履いて、背骨を伸ばして聞くようになった。
そして講演後にいち早く降りていって握手を求めた。そのくらい感動的な
話であったことはいまでも覚えている。もう何年も前に奥様からお手紙をい
ただいて、ガンを宣告され、丸山ワクチンで治療したいと書いてあったので、
もう亡くなられたとは思うが・・・
ハワード三宅校長が校長室に我々を招いて、そこで「諸君、大和魂を忘れ
るな」といった言葉は忘れない。
■帰路
とにかく、くたくたに疲れたツアーだった。
カリカリのベーコンと、まずいスクランブルエッグ、薄いパン、この連続で
私の身体は拒食症になったようだ。一食分がまるでウグイスの餌のような
量しか喉を通らない。おかげで、このツアーでは5キロも痩せてしまった。
その後、この症状は1ヶ月以上も続いて結局15キロ痩せることになって
しまう。
日本へ帰る飛行機の中。感想文を書くことになった。
適当に書くと、これがダメとのことで結局2回ほど提出して、ようやくOKを
もらった。さて、これから10数時間のフライトだ。
成田についたら、サンフランシスコの二の舞になりませんように、と祈りな
がら毛布をかけた。
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