■JRの事故に想う
2005.0630
尼崎のJR脱線事故で107名もの方々が亡くなったことに対して深く哀悼の意を表します。このような事故を二度と起さないためにも今回の事故について考えてみたいと思います。
著名な学者の新聞記事を読むと、企業が売上高追求、数値競走ばかりで人命尊重を忘れていた結果だと書いています。もっと命を大事にする経営者と社会の一員としての意識が大事であるとも述べていました。
学者や著名人の話は大変重要ですが、ここで僕なりに大胆に今回の事故について考えてみたいと思います。
まず、経営陣は営利追及に走っていたかもしれませんが、現場はどうかというと、現場では売上や利益意識はそんなにはないと思います。むしろ各駅の間を時間通りに運行することが彼らにとっては重要なことであったと思います。
たしかに、そのように時間通りに運行を強制したことはTOPの売上至上主義や競争意識によってもたらされたものでしょう。しかしそのように短絡に悪いといっても、この問題は解決はしません。
■現場の社員
これは皆さんの会社でもそうだと思いますが、現場の社員は後工程の三つ先の現場で何を行っているかは知りません。ましてや顧客が誰で、どうであるかなどは知らないものです。与えられた仕事をそつなく納期までに完成させればOKだと思っているのが通常です。
これは僕の現場時代がそうでした。MG(マネジメントゲーム)をやらなければ経営も知らないし、会計も社会構造すら知らなかったというのが本音です。
JRの現場で働いている運転手もこれと同様、各駅の間を決められた運行表どおりに通過して最終駅に、”時間通り”に到着することが目的だったと思います。
■ところが
ところがTOCを学ぶと、「遅れは累積して、最後には取り戻せないほどの遅れとなる」ということが分かります。
ひとつの駅でオーバーランして遅れました。他の駅でも遅れるリスクはあったでしょう。こうして途中では「取り戻せないほどの遅れ」が生じて、それを取り戻そうとして120kmのスピードを「出させて」しまいました。
TOCのサイコロゲームを思い出してください。
あのゲームでは在庫は、各工程のマシンを休ませずに動かすための、ある種の余裕でした。余裕在庫を持てば、もし前工程がSTOPしても自分は製造を続けることが可能です。
つまり、在庫イコール余裕であり、それは「何時間分の余裕」と訳します。
在庫は「何時間分の仕事」というのが、本当の意味です。
さて、JRの運行表はどうなっていたのかというと、各駅での「余裕時間」の設定がほとんどない状態でした。
それがためにオーバーラン等のリスクがあれば遅れが発生し、リスクは何度も形を変えて襲ってきますから、遅れが累積していきました。
■余裕時間の位置と量
この問題を解く鍵は、各駅での余裕時間の量ももう少し増やす必要がありますが、そうしなくてももっと簡単で確実な方法があります。
それは最終到着駅の前に、かなりの量の「余裕時間」を設定すればいいのです。
こうすれば途中で遅れが生じても、最終到着駅の前の「余裕時間」が減っているだけですから安心して基準速度で運行できます。最終到着時間が合えばいいのです。途中の遅れはリスクですから容認すればいいのです。
最終到着駅に予定より早く着いてもいいし、途中駅での遅れをあせる必要もなくなるからです。
また、途中駅で乗り換えがある駅の前にも余裕時間を設ければいいと思います。
いずれにしてもリスクは襲ってきますから、そのリスクをどこで吸収すればほとんどの問題が発生しないかは、余裕時間の位置と量で決まります。
■個々の遅れを認める
個々の遅れを認めないというのは、プロジェクト管理で各作業ごとに納期管理や工程管理をしている状況とじつによく似ています。
各作業がすべて納期どおりに進行すれば(理想的)、最終納期に間に合うはずだというのが間違いです。そのようにして間に合った試しがないのです。
プロジェクトでは「マルチタスク」といって、有能な人間ほど複数のプロジェクトに関わっていて、それぞれ納期を抱えて、残業と格闘しています。もし一つの仕事がリスクを受けて遅れると、他のものも影響を受けます。
こうして複雑に絡み合ったプロジェクトと複数のプロジェクトによって、必ずといっていいほど予想どおりに終わりません。
これがJRでも同じことです。複数の路線、運行時刻がからみあっている中での福知山線と考えれば、必ずといっていいほど遅れが出ても不思議ではありません。
となると、考えるべきことは、「個々の遅れがあることを認めたうえで、全体がスムースに動くような余裕をどうするか」ですし、うまく設置した余裕は運転手のあせりを消すことも可能です。
■学者や評論家の説
学者や評論家は、事故の原因を経営者の倫理に求めました。それは間違いではないと思います。しかし、それであっても再度事故が起こる可能性は消えません。
事故が起こるには、事故が起こる原因があります。因果関係です。
その根本となる原因を「構造的に取り除く」ことをしなければ再発してしまいます。
JALが不祥事の連続です。
経営陣が考え方を変えることは大事ですが、考え方を変えようとしている最中にも大事故につながりそうな不祥事が起きています。
ここでも、事故が起こる根本原因を叩いていくしかありません。それが「人命尊重に一時も早く繋がる」ことではないかと思います。
つまり一刻も早く問題を消し去るとともに再発防止の手を打つのが実学であるのに対して、先の学者や評論家の意見は座学のように見えます。
遺族にしてみれば、具体的な問題解決の手を打って再発防止に努めることを望んでいるのではないでしょうか。
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