■作業分担とピンシステムにおける効率化
2002.0308
■日本印刷技術協会賞の受賞
昭和55年(1980)5月9日(金)18:15 東京・九段ホテルグランドパレス
にて昭和54年度の日本印刷技術協会賞授賞式開催。銅賞・清水信博。
「ピンシステム」の論文が入賞したのは、私が25歳のときで、新潟
に本社のある(株)博進堂に入社して5年目の冬であった。今頃になっ
て当時の事を書くのも遅いような気もするが、自分の歴史としてもまと
めておいたほうがいいと思ったから、あえて書くことにしました。
■開発期
22歳で東京の製版会社から新潟へ戻った私がみた当時の製版技術は、
あまり高度なものとはいえなかった。もちろん設備は古く、材料なども業者
からの薦めに従っていたせいもあるのだろう。技術も業者が教えて、それを
現場の人間が、いろいろと工夫しながら印刷物にしていたようだ。
製版会社の前に両国にあった大日本スクリーンテクニカルセンターで製版
に関する教育・カメラワーク・製版理論などを勉強していた私は、この時の
最先端の研究所と印刷現場の落差には驚いてしまった。
印刷理論などは現場では使われてもいない。経験主義の徒弟制度でしか技
術が伝えられていなかった。しかし、それでも印刷物は立派にできていた。
◆
製版、とくにオフセット印刷の製版というと四枚のフィルムを作る。
カラー原稿を印刷物に変えるためには、スキャナーを使って原稿を四色に
「色分解」していく。それから版画のように紙に刷り重ねて復元していく。
つまり、10を4ツに分解して、また10に戻すというようなことを行う。
その際の四色とはC(シアン=青)、M(マゼンタ=赤)、Y(イエロー
=黄色)、BK(ブラック=黒)である。
この四枚のフィルムを重ねた時には髪の毛1本ほどのズレも許されない。
なぜならば、ズレが生じると、人間の視覚は敏感にそれをキャッチするから
不良品ということになってしまうからだ。
このズレを出さないように四枚のフィルムを合わせることを「見当合わせ」
というが、当時は製版だけではなく、印刷用のアルミ板・刷版に感光させる時
もいちいち見当合わせをしていた。こうしていくつもの部門で見当合わせが行
われ、どこかでズレが生じれば、それは不良品だということで、作業のやり直
しが行われていた。
私もこの作業に携わりながら、どうにかできないものかと考えていた。もし
この製版に関するうまいシステムができれば、きっと「より正確に」、より
「生産性を高く」、しかも「誰もが楽に」なるだろうと。
そのためには、まず私が、この博進堂という会社の製造システムの全容を知
っておかなければならない。いかに良いシステム構築であろうと、それが高額
な投資やいまのスキルからかけ離れていてはうまくいかないからだ。
だからといって低レベルのシステムで妥協するわけにもいかない・・・・。
卒業アルバムシーズンも終わった夏に、それまで考えていた「ピンシステム」
を具体的に導入する時がきた。当時の上司に概略を説明して、じつは三日間で
このシステムとツールを作って実験をしたのだが、自分でもこれほど短期間で
できるとは思ってもみなかった。ましてやその後一ヶ月も経たずに生産性が三
倍以上になるとは。
■ピン方式
四色のフィルムの見当合わせに「ピン」が使われていたのは、以前からのこ
とで、それ自体は珍しいことでもなんでない。
フィルムの上辺の二箇所に、パンチ穴を開けて、そこに筒状のピン、、、、
フエル・アルバムのピンを想定していただけると理解しやすいと思うが、その
ピンに四枚のフィルムを差し込んでいくと、四枚の色分けされた画像はピタリ
と合う。髪の毛一本ほどのズレもなく。そこまではいい。
ようは、そこから先の印刷、断裁まで、そのピンと原稿の位置関係をピタリ
と合わせることができれば、誰も何の苦労もせずに見当合わせから、印刷物の
断裁(カット)まで一発でできるようになる。これが私の考えたことだった。
まず、ピンといっても様々な形状がある。四枚のフィルムを正確に重ね合わ
せるのであるから穴は正確であると同時に針のようなものが良いかというと、
そうではない。
むしろある程度大きいパンチ穴でないと精度は出ない。そこで東京まで連絡
して、パンチ用の台、ピンについて長瀬産業に連絡をして調査した結果、望む
ようなものが見つかった。これは最低限の投資なので仕方がない。
ここで面白いのはピン穴の形状についてである。皆さんがよくA4用紙の左
側にパンチ穴をあけてファイルに綴じることがあると思うが、あれは二つの穴
が、どちらも丸い形状だから精度が落ちてしまう。一方が丸は正しい。そこが
起点となるから。しかし、もう一方は丸ではなく、楕円に近い形状でなければ
ならない。楕円というよりも楕円の上下を平行にカットしたような形状でなけ
れば精度は出ない。
この理由は、パンチした時に両方の穴の間に多少のズレが出るからである。
紙でもそうだがパンチしてファイルした時に微妙にズレ、シワが寄ることを経
験されたことがあると思うが、そのほんの少しのシワは製版では命取り、つま
り色ズレになってしまうからである。
つまり、ショックアブソーバー(緩衝剤)のように、誤差を取り込むような
ピン穴の形状にしておくことが大事な点である。博進堂ではどうであったか?。
当時は針のような丸いピンを使っていたので、誤差があったし、それは仕方の
ないものとして、各部門で再チェックしていた。これはツールを変える事で解
決できることであった。
つぎに二つのピン穴の中心を正確に計測しなければならない。さらにピン穴
の中心と原稿の平行も正確に計測しなければならない。これは印刷機械にかけ
た時に平行が出ていないと印刷物が斜めに印刷されてしまうからで、しかも印
刷物を断裁する時にも斜めでは断裁ができない。つまり、私としてはいらぬ神
経と作業を徹底的に排除したいのであるから、フールプルーフで作業ができる
ように設計しなければならない。
こうしてピンと原稿、刷版、印刷機械等々を計測して、私がつくったのは、
「下敷き」だったのである。
それはB5からA3くらいまでのフィルムで、この下敷きをライトテーブル
に置いて、そのピン穴にピンを差込み、その上に次々とフィルムを載せていっ
ただけで、ピンの二点間に原稿の中心が出ているし、平行も出ている、さらに
は印刷用のアルミ版も同様に穴をあけて、そこにフィルムを差し込むだけで位
置合わせは何もしなくてもできてしまうというものを作った。
断裁に至っては、常にピン位置と原稿との距離が一定なので、断裁の機械は
微調整がほとんど必要ではなく紙を次々とカットしていける。
これが私の考えたピンシステムの概要である。
◆
私がやりたかったのは、見当合わせ、微調整などは品質とは無関係のものだ
から、それらを排除して、本来の品質向上に全員の眼を向けるようにしたいと
いうことだった。つまり本当に効く所に力を集中したかったのである。これは
私がアルバム業界ではなく商業印刷や研究所で印刷に対する考え方を叩き込ま
れたせいかもしれない。
印刷の品質にはもちろん再現性の問題もある。しかしサービスの問題もある。
様々なものがあるが、最も重要なものは、顧客に評価される品質の向上に努め
なければならないことだ。
メーカーが必死になって品質だ、品質だと騒いでいても、顧客がふんと思っ
ているものは品質とはいえない。先の見当合わせなどは、顧客がふんと思う部
分である。
私はピンシステムを開発して、オートメーションというのは何も機械を導入
してズラリと並べ、その上を自動的に処理されていくものだけではないという
ことが分かった。オートメーションという大きな概念の一部に設備集約型のよ
うなものがあるだけのことだと思った。
たとえ手作業のようであっても、オートメーションは実在することも経験で
きた。これが後々、ドラッカーの名著・現代の経営のオートメーションを読む
時に役立つ結果となった。
さて、印刷業は労働集約型から設備集約型へと転換をとげてきた。そしてい
ま設備集約型から知識集約型へ移行しようとしているが、そうそううまくはい
ってないのが実状ではないだろうか。
私はその理由はオートメーション化に対する考え方の差にあったように、知
識集約型もじつは自分以外の何かに頼っているからではないかと思う。
例えばコンピュータに頼っているように。
もっと自分たちの頭で工夫するという、自分自身の可能性を信じて活用して
みたらいかがだろうと提案したい。モノに頼ると、また次もモノに頼るように
なってしまう。みんなの意識がそうなったら企業は弱体化するのではないだろ
うか?。
■役目を終えたピンシステム
私が開発してから20年ほど博進堂でピンシステムは活用された。いまはデ
ジタル製版でコンピュータ画面上で製版から刷版、印刷まで可能なのでピンシ
ステムはお役ご免となったようだが。
開発者本人が言うのだから許してもらえると思うが、ピンシステムが完成し
て一ヶ月も経たないうちに生産性を三倍に上げ、その後の受注増の時の強力な
武器になったのは嬉しいことである反面、10年ほど経つと、「さらにいいシ
ステムを開発するために、ピンシステムを捨てたほうがいい」と主張してきた
のだが、それが20年も続くのは残念なことであった。
どんなにいいものでも、20年は長すぎる。
しかし、ようやくデジタルに置き換わって、長寿を全うしたと聞いたので、
この原稿を書くことにしたわけである。
私の分身のようなシステムでもあった。
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