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■大連に行く (2007.0706 - 0708)

二日間の仕事を終えて日本に帰る朝です。

530にホテルに迎えに来ていただいて念願の203高地へと向かいます。大連のタクシーは驚くほど安くて、203高地までおよそ50分ですが片道1100円程度です。

大連の中心街のHOTEL日航から、旅順の街に向かう車中でいろいろと聞きました。旅順には日本人が決して入ることができない場所があります。そこは墓地です。運転手の方からいろいろと聞いて、帰りにタクシーから眺めるだけということで203高地へ。

203高地へのゲートでは日本人だというと、問題があるのでとにかく黙っていろと言われましたが、中国人が見れば僕など一発で分かるわけです。

タクシーで中腹まで登ると、大型バス10台、普通車20台ほどは停めておける整備された駐車場に着きました。

ここでタクシーには30分近く待っていてもらい、我々は徒歩でコンクリートで整備された山道を歩くこと10分。結構な勾配のある道です。

やがて頂上に出ました。

■旅順港までは遠かった
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頂上は二手に道が分かれていて、左側に行くと巨大な大砲が一機あります。ここから旅順港の艦隊を狙ったのだそうです。

しかし旅順港ははるか先。7,8kmはあろうかというほど離れていてかすんでみえます。よくあそこまで弾が飛んだもんだと思うほどの距離です。

高地から発射したのですから10kmくらい先まで飛んだのではないかと思います。

■もうひとつの砲台へ
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次に、いま来た道を右側に歩いていきました。
70mくらい軽く登った開けた場所には、ライフルの弾のような形をした塔が立っています。

これは戦争で使用した弾丸の破片を集めて作ったものだそうです。

近くの看板には、「この歴史を後世に残し、国の(日本)の恥を忘れるな」という意味の立て札もありました。

その党から少し階段を降りると、先ほどより小さめの大砲が2機のあります。これがロシア軍のステッセル将軍が使用した大砲です。

ここ中国の資料には乃木希典大将の名前は出てますが、児玉源太郎や秋山真之の名前は一文字もありません。

この場所の看板にも乃木大将が攻めてきて、これを迎え撃つロシア軍がこの大砲を使って何万人も殺害したと書いてあるのみです。

しかしその大砲の下は急な崖です。

日本軍はよくこんな急勾配の崖を登って攻めたものだと驚きます。

■児玉源太郎が203高地を攻めた山は?
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203高地の看板などを見ましたが、児玉源太郎が大砲を担ぎ上げた山はどこか?

それはよく分かりませんでした。

203高地から見渡すと、周囲にここよりも低いですが、攻めることができそうな山がいくつもあります。でも、もっと遠くの山に大砲を持っていったのかもしれません。

203高地に登るときも、降りるときも、黒っぽい蝶々が何匹も飛んでいたのが印象的でした。

飛行機の時間もあったので203高地を去って、行くときに話のあった墓地の前を通りました。どんなことがあろうともやはり戦争は良くないというのが僕の感想でした。誰かの犠牲のもとでの繁栄などあってはならない・・と。

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