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■社会の変化

■目標の変化
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昔々、ワンスアポンナタイムといえば英語の昔話の始まりだが、企業ともいえない集団は労働集約型であった。

人力による「ものづくり」は、ピラミッド作りの時代もそうだったように、多くの年月をかけ、膨大な労働者を必要とした。

有名な石切工の話がある。

あなたは何のために石を切っているのかと問われたときに。

ある者は生活のためだといい、別の者は立派な石切工になるのだといい、最後の者は後世に残る建築物を建てるためだといった。

最後の者こそが、最も明確な目標意識をもったリーダーであるといえる。

■産業革命
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産業革命は労働集約型の仕事を、設備集約型へと変えた。意識も含め様々なものを変えた。

人力から機械装置に置き換わったことで人は楽に、しかも大規模な仕事を短期間で行えるようになった。

しかし、チャップリンのモダンタイムスが警鐘を鳴らしたように、人間重視から機械重視へと心が移動していった。

自動車王だったヘンリーフォードが言った言葉。
「どのような色の車でも提供します。黒であれば」という言葉が当時をよく表している。

機械化は人を助けるためであったのに、いつのまにか機械が主で人間が従という逆転現象が起こり始めたのもこの時代からである。機械依存型により、稼働率重視、機械の生産性重視の時代へと入っていく。

■設備集約型時代の限界
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設備集約型、つまり高額な機械、高性能のマシンを揃えることが高生産性を産むことはないと我々が知ったのは、つい最近のことである。

いつの間にか、あの有名な石切工の話にでてくる最後のリーダーの話が、途中の「立派な石切工」や「生活のため」ということに置き換わってしまった。

ゴール(目標)を見失ったのが、現在の経営の姿である。

組織とは「凡庸な者が集まって非凡を成すこと」であるといったのは、マネジメントの父、P・F・ドラッカーであるが、その非凡とはゴールを示している。途中の一里塚ではない。

■知識集約型社会の扉
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また訪れてはいないが、この混沌とした状況を打ち破るものは、知識集約型社会であると言われている。

知識集約型社会とは、筋肉を痛めつけ耐えたり、機械依存型ではなく、人間が本来持っている智慧を活かす社会である。それは第一次産業でも必須のものになる。もちろん第三次産業においては企業の決め手となる。

それはどこにでも移動可能な人間の頭脳を「良き方向に活かす」ということである。

しかし、良き方向に活用するには、よき仕組みを作らなければならない。

どのような優秀なものであれ、よき仕組みのないところではその能力を発揮することはできない。

良き仕組みは、いつの時代も「人間を助けるもの、幸福にするもの」であった。

■新しい社会の扉を開ける鍵は
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新しい社会の扉を開ける鍵はどこにあるか。

それは最前線で働く者の中にある。

知識集約型社会を開く鍵は、評論家やコンサルタントの中にはない。
彼らは、パンドラの箱を開ける鍵はもっているかしれない。

良き仕組みの構築は、人間主義に立脚しなければならない。
そして現場との「対話」が実際的な仕組み構築への第一歩となる。

根本原因の破壊を組織一体となって取り組み、誰もが普通にチャレンジすれば、そこそこの実績を残せる仕組みづくりを行う者こそが、次代のリーダー像となるだろう。

じつは経営者も「社会における諸問題を解決する問題解決者の一人」であるといえる。

それを社会貢献とも言っている。

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