■DCが王様、FCは小間使い
よく分かっているようでいて、本当に分かっていないのが、タイトルの言葉。
DC(直接原価)こそが企業の実態を表しているのに、MGでベテランと言われる人でも、いつの間にかFC的発想(全部原価思考)が忍び込んできます。
この機械を導入したら採算はとれるのか?という質問などはFC的発想です。正しくは、「この機械はどのくらいのMQ(付加価値)を産むのか」です。
もし、本社が豆粒のように小さくて、工場が鯨のように大きければ、そして製品が3種類以下ならば、DCとFCは近似値になるかもしれません。でもそれは戦後の町工場。フォードの黒一色の車の時代でした。
DCを主に、FCを従える立場に置くことは(頭脳の中)、なかなか大変なことです。ついうっかりするとすぐにFCがあなたの脳を支配します。しかも経営会議などでアドバイスをするプロもFC信奉者が多いので、毎月FCの訓練を受けているような場合もあります。
FCは「それらしく聞こえる」から問題を引き起こします。また、「決して解けない問題」であることもフェルマーの最終定理のように多くの人の興味を引いてしまいます。
しかしそれは現実を変えはしません。
なぜなら、実際に会社が良くなってはいないからです。素直に現実を直視すれば、「何も改善はされていない」ということが見えるはずです。
■DCは世界を変える
DCは利益に向かって走っていく列車です。
対するFCは現状維持で進もうとする自転車です。
MGを体験し、導入した会社であれば、一度列車に乗ったにもかかわらず、わざわざボロの自転車に鞍替えする必要はありません。それは、なつかしく眺める程度のものです。管理会計を導入するとはそういうことをいいます。
こうした発言に対して、会計の専門家は「現行の会計はFCだから、製造原価の計算をしなければ、税金の計算が・・」などと言うかもしれません。
しかし、この言葉に屈して「DCを捨てたら」、 もはや経営者ではなくなるのです。
彼は経理専門家の奴隷であり、意思決定者ではなくなるのです。
経営者は明日の企業、世界を変える存在です。
それは顧客も社員も全てを「良き方向へと」変えていく存在です。
よって経営者には「変革」という言葉が常につきまといます。
その変革を阻止するもの・・・それがFC的発想という制約です。
■人が主、方針は従
しかし、FC的発想で人を殺していることも多いです。
それは下請けや仕入先を切り、社員を切っています。
本当に人が大事であるならば、方針などは真っ先に切っても誰も悲しまないと思います。ですから、人間主義といいながら、方針に縛られている経営者をみると大きな矛盾を感じます。
FCで決算をすることは「事実」かもしれません。
しかし、「事実」と「真実」は違います。
MGをやり続けるということは、この「FC主義」という亡霊を消し去って、正しい意思決定の世界へ移住するという試みなのかもしれません。それが次のMX会計への入り口のような気がします。
2008.0118(金) :清水信博