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■人間は意志を持ち、物質は意思をもたない

庭の水まきをするときに、ゴムホースの口を押せば水は勢いよくでます。

水を仕事に例えるならば、 ボトルネックをつくることで水の勢いは増します。

一方、これが仕事となるとボトルネックの前で流速は衰えます。

物理学と仕事が違うのは、水の粒子は意思を持たず、仕事は人間が関わるので
意識が加わり粒子のベクトルが別々の方法を向くからだと思います。

ですから、仕事でおかしな組み換えや、いらない判断等を除去すれば、
流速はもっと上がります。

では、個々のおかしな組み換え、いらない判断を除去するということと、
仕事の質・人間性といったことの問題はどうなるのか?

いつもこの問題が横たわります。

人間関係派は「人間はロボットではない」と言い、X理論であれば「考える
必要はない。言われたとおりにやれ」と論争を始めるでしょう。

■第三の思考
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仕事とは従属性であり、すべて完了して初めて完成品となります。

もし、当初の設計に反して個々が勝手に判断して仕様を変えるようなことが
あったならば、それは品質異常もしくは品質改変と言われても仕方がありま
せん。

仕事の質とは、個々の勝手な判断で変えることではありません。
全員の手によって作り込みをすることです。

TOC理論では、来た仕事はすみやかに処理をして次工程に流せといいます。

つまり、考えることをせずに仕事そのものに集中せよと言います。
これは先の物理学の粒子と同じ考え方といってもいいでしょう。

でもその先が違います。

MQをいかに早く生み出していくか。
しかも楽に、極大化していくか。
そしてそのMQを、どの方向に投資していくかというGOALが明確である点が
単なる物理学的発想や人間関係派とは異なるわけです。

つまり物理学的発想、物質的思考と人間関係的思考は「ともに、そのいち部分
のみを捕らえて判断をしている」だけです。両者とも部分思考に他なりません。
全体最適化、全体思考をもたずに、いち工程でのあり方を捕らえて善悪を論じて
いるようなものです。

そろそろ、こういった永久ループのような遊戯的論争には終止符を打たなければ
なりません。でなければ泣くのはいつも現場の平社員であるからです。

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